◇ 小5から地元の少年和太鼓会に入りました。
六尺褌締めて演奏する子が一人欲しいって会長に言われ、僕だけ六尺褌締めて演奏するようになりました。
褌の子は珍しいってすぐに評判になりました。
小5の夏休みに地元の祭りで六尺褌締めて演奏したあと、褌のまま一人でいると30歳くらいのおばさんが声かけてきました。
誘われるままにおばさんの家に行き、六尺褌締めた体中を触られてるうちに、いつの間にかセックスしてました。
まだ射精も知らなかったのに、騎乗位でおばさんのアソコにチンコを入れられ、おばさんが腰を動かすともの凄く気持ち良くなってきて、何か出そうって思った瞬間に初めての射精をしてました。
可愛い顔してるくせに褌の前がメッチャ膨らんでるんで、こんな巨根の子の童貞奪いたいって思ったらしいです。
思い通りに僕の童貞を奪えておばさんも嬉しかったらしく、それからは毎日のようにセックスさせてくれました
◇ 少年神輿から大人まで担いで締めてきたので特にはギックリ腰を治療するのに六尺褌のまま治療院に行ったら先生がパンツ穿いてるのじゃ痛いのは軽減しません、骨盤を締め込める下着が褌です、日本の知恵なんですから恥ずかしがらなくてもいいんですよ、
褌を締める事で効いてくるツボが腰と肛門の上あたりと陰嚢の付け根あたりにもあるので褌着用すごく良いと思います、続けてくださいね、EDにも良いですよ。と言ってくださいました。
◇ 昔は男であれば誰でも白い越中ふんどしでした。いつの間にかブリーフやトランクスに変わり、とても残念です。50年ほど前になりますが、職場の先輩が夏になると奥さん手作りのもっこふんどしを愛用しておられたのがとても羨ましく思ったものです。10年ほど前にそれを思い出し、妻にお願いをして赤いもっこふんどしを作ってもらい愛用しました
◇ 子供の頃、夏休みは山間地にある母の実家で過ごしていたが、当時50歳代だった祖父は、山仕事に行く時以外いつも褌一丁だった。田んぼの見回りや、近所の家に行く時も。私は、その褌姿が好きで、早く大人になって
褌を着けたいと憧れていたものだ。私が、念願叶って褌を家族公認で使用することができたのは、52歳の時、腹部を手術してT字帯を着けたことがきっかけだった。それから20年、ずっと愛用している。
◇ 相方が六尺を常用していて初めてその姿を見た時、かっこ良く絡んだ後に相方の匂いが染み込んだ六尺の匂いに異常に興奮、我が息子はギンギンに勃起それ以来私も六尺を愛用するようになりました。相方とは10年続いていますが今でも六尺絞めてのSEXは興奮します。
◇ 学生時代から周りに褌を愛用されている先生が多かった。水泳授業や臨海学校・修学旅行等で先生の褌姿に多く接しました。特に一番好きで尊敬していた先生の褌(越中・黒猫)姿を見た時は興奮した。その先生の口癖は「何事にも褌の紐を締めてかかれ!」でした。卒業後も音信を取り、旅行にも行く機会があり、先生に「褌姿が格好良かった」と言ったら、平気で裸にもなられた。帰りには替えに持ってこられた越中褌を戴いた。その後も何度かお逢いしたり、お宅へお邪魔したりしていたが、93歳で永眠された。以来先生を思って越中を愛用している。
◇ 六尺を締め込み、羽織袴を着た時すごい興奮した。着物は帯を締めたと同時に中の六尺も締めこまれる。袴を履き、紐を締めたときにもさらに追加で締めこまれる。
中で強烈な勃起。勃起によりまたさらに締めこまれる。締め込みにより前立腺が刺激されてトコロテン。六尺はぐっちょり濡れた。腰を少し上下させオナニー。でてしまいそうだが寸止めする。トロトロっと濡れてきた。2回目も寸止め成功した。中の液体は出し切ってしまったような感じがした。3度目はとまらずフィニッシュ。しかしかれてしまったような状態。これが空撃ちというのかな。直撃した六尺はもちろん長じゅばん、着物はぐっちょり濡れていた。袴も少ししみができてしまったかもしれない。あっというまに賢者タイム。足袋、袴、羽織はすぐに脱いでしまった。このまま夢が覚めるのがさみしすぎるので、六尺と着物は着たままの状態で、そのまま朝まで寝て過ごした。
◇ 山間部の温泉場で越中を絞めたお父さんと出会い、勧められるままに越中を絞めて貰い、興奮で勃起した我が倅をしゃぶられお父さんの口内へと精を放ってしまった。放出後も我が倅は萎縮する事無く頭を持ち上げ、お父さんは「強い」と言って、最後の一滴まで絞り出されてしまった。お父さんは口で受け止めた瞬間に興奮で逝ってしまったと、放出で濡れた越中を外して見せた。こんな経験は初体験と苦笑いをしていた。
◇ 山間部の温泉場で越中を絞めたお父さんと出会い、勧められるままに越中を絞めて貰い、興奮で勃起した我が倅をしゃぶられお父さんの口内へと
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