越中褌体験談-7

◇ 7月末が結婚記念日なので、3年前、家内と旅行にいった時、褌を忘れてきたのもきがつかなく帰りフロントで、忘れ物があります、、と仲居さんが持ってきてくれました。ピンクの越中褌を見ると思いだします。
(布団に挟まっていたようです)普段は両親と子供たちでにぎやかなので二人で出掛けることは結婚記念日の時です

◇ 担任の先生の褌姿(最初はプールで海水パンツの下に黒猫褌を締めておられた)を、お宅に御呼ばれした時、先生が越中褌をされていることを知った時、何故か興奮をした思い出がある。その後機会あるたびに、先生からご自身の褌にまつわる話を聞き、褌が締めたくなり先生にねだって越中ふんどしを縫って戴いた。先生から告白され、自分も先生の事が好きだったので、嬉しかったこと。

◇ 昔は男であれば誰でも白い越中ふんどしでした。いつの間にかブリーフやトランクスに変わり、とても残念です。50年ほど前になりますが、職場の先輩が夏になると奥さん手作りのもっこふんどしを愛用しておられたのがとても羨ましく思ったものです。10年ほど前にそれを思い出し、妻にお願いをして赤いもっこふんどしを作ってもらい愛用しました

◇ 子供の頃、夏休みは山間地にある母の実家で過ごしていたが、当時50歳代だった祖父は、山仕事に行く時以外いつも褌一丁だった。田んぼの見回りや、近所の家に行く時も。私は、その褌姿が好きで、早く大人になって
褌を着けたいと憧れていたものだ。私が、念願叶って褌を家族公認で使用することができたのは、52歳の時、腹部を手術してT字帯を着けたことがきっかけだった。それから20年、ずっと愛用している。

◇ 学生時代から周りに褌を愛用されている先生が多かった。水泳授業や臨海学校・修学旅行等で先生の褌姿に多く接しました。特に一番好きで尊敬していた先生の褌(越中・黒猫)姿を見た時は興奮した。その先生の口癖は「何事にも褌の紐を締めてかかれ!」でした。卒業後も音信を取り、旅行にも行く機会があり、先生に「褌姿が格好良かった」と言ったら、平気で裸にもなられた。帰りには替えに持ってこられた越中褌を戴いた。その後も何度かお逢いしたり、お宅へお邪魔したりしていたが、93歳で永眠された。以来先生を思って越中を愛用している。
24/09/14 06:29更新 / 褌三昧

[5]戻る [6]次へ
[7]TOP [9]目次
[*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35c