連載小説
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褌体験談D
◇ 叔父の越中姿を見て熟年の色気に魅せられ、叔父に勧められるままに越中褌を絞めて貰い、何の躊躇いも無く男同士の世界へと足を踏み入れた。お互い越中一枚の姿で貪り合い、叔父からの激しい口での我が倅への愛撫を受け、忽ちクライマックスへと達した。叔父の口内へ何時終わるか分からない程の精を放出し、叔父は一滴も溢さないと最後まで咥えて飲み干した。同性からの尺八は初体験で有ったが、快い射精感にすっかり叔父の虜と為ってしまった。

◇ 厄年の祭り、褌姿で参加しますが、締めてもらうのが初めてなので前が勃起して納まらなく締めてもらうのが恥ずかしかったです。夏は蒸し暑い日は褌をしめて寝ます(寝る時はエアコンが嫌いなので付けていません)褌は自分ではまだ締めれないので妻に締めてもらっていますから、、、暑い夜が多いと締めることがふえています。

◇ 学生時代の恩師と海に行った時、恩師の黒猫褌と民宿での夜、越中褌をされていた。尊敬する先生の褌姿が40年以上過ぎた今でも鮮明に焼き付いている。皮膚科を受診した時に老医師からゴムがいけないと指摘され褌に替えると良いと言われ、医師が眼の前で褌を締めている裸を見せられたこと。

◇ 臨海学校で担任の先生が、遊泳時は六尺、日常は越中着用と知り、親近感を覚えた。高校では体育の先生の着替えに出会ったが、越中の上にランニングパンツを履いていて、尊敬と親近感を覚えた
親父以外で、先生・先輩・友人が褌を常用しているのを知った時。戦時中の臨海学校で、先生も褌で泳がれていたこと。六尺だけでなく、越中や黒猫を着用されていた。戦争が厳しくなるにつれ、海パンの購入が出来ず、さらに晒が購入できなくなり、日常使用の越中の先生が殖えた。

◇ 褌を締めるきっかけになった先生が、平気で私の前で越中褌ひとつの裸になられ、好きだった先生と親しくなる事ができた。最初は先生から褌を頂いて締めて下さった。卒業後も、個人的にお付き合いが続いて、旅行にも度々行くようになれた。勿論、二人とも越中褌を締めて行きます。布団の中で抱き合って眠ったことは、今でも鮮明に覚えています

◇ 夏は暑いから、家に居る時は六尺褌で過ごしていましたが、家内の友人
が着た時に褌姿で出たのでビックリしたそうです。(女性の御客さん)それ以来からは、人に見られても良いように褌を締めている時は浴衣か、短パン姿でいます。

◇ 初めて、寿司屋の見習いで入店したときにい、親方の前で裸になり
越中褌に晒しの腹巻きを渡され、越中褌を、はかされ晒しを腹にきつく巻き、その時突然変異にきずき、勃起してる自分のチンポ越中褌の中でテントがはり気持ち良いのがわかりましだ。

◇ 7月末が結婚記念日なので、3年前、家内と旅行にいった時、褌を忘れてきたのもきがつかなく帰りフロントで、忘れ物があります、、と仲居さんが持ってきてくれました。ピンクの越中褌を見ると思いだします。
(布団に挟まっていたようです)普段は両親と子供たちでにぎやかなので二人で出掛けることは結婚記念日の時です

◇ 担任の先生の褌姿(最初はプールで海水パンツの下に黒猫褌を締めておられた)を、お宅に御呼ばれした時、先生が越中褌をされていることを知った時、何故か興奮をした思い出がある。その後機会あるたびに、先生からご自身の褌にまつわる話を聞き、褌が締めたくなり先生にねだって越中ふんどしを縫って戴いた。先生から告白され、自分も先生の事が好きだったので、嬉しかったこと。

◇ 若いころ住んでいたアパートの近くに珍しく自分の庭で褌を締めて堂々と歩いていた当時まだ30代(40年前)の恰幅のいい人が垣根からみえて釘付けになった。また手に届くほどの物干しに少し黄ばんだ褌が悩ましげに盗ってくれとばかりに揺れていた。

◇ 学生時代、夏の朝共同炊事場で六尺一丁で洗面していた時、同じアパートの当番の女の方が、清掃に来られ、私の六尺を見て(暑い日だったので特に違和感はなかったそうですが)「まぁーお相撲さんみたい」と感想言われたのが、印象に残ってます。五年間ほど、そのアパートで暮らしましたが、古き良き昭和の時代、お互い全然平気で夏場は六尺が常用になってました。「素敵、かっこいい、男らしい!」とほめ言葉しか記憶にありませんが、今では、セクハラ対象でしょうね。  
24/09/14 05:15更新 / 褌三昧
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