褌体験談L
◇ もっこ褌の存在を知ったのは、40年前に先輩が夏の間だけ奥さんの手縫いの物を愛用していたことを思い出し、越中褌と異なり、前垂れがないことでズボンを穿いた時の違和感もなく、機能性からも優れていると思い妻に手ずくりしてもらいました。案の定とても気に入りました。
◇ 最近では褌専門店には色、柄、生地の種類、縫製の仕方等いろんなタイプが揃っており選ぶ楽しみもあり、とても喜んでおります。妻も生地選びや手縫いから解放され、有難いと話しております。僕自身も間もなく古希を迎える歳となりましたが、ますます充実した日々を過ごしております。これも褌のお陰と勝手に解釈し喜んでいます。しかし、残念ながら多くの男性に認められていないことが悔やまれてなりません。暑い夏の夜、風呂上りに褌一丁で寝る事が出来るのは、男だから出来ることと思い、男に生まれた喜びを噛み締めています。
◇ こんなに良い下着をどうして恥ずかしいと敬遠するのか。追突事故で大袈裟と思われますが、頭、首、肩、腰の痛みと肩のこり、足の痺れ等で四年半余り苦む。夜はなかなか寝付かれず、そんな時ふと父の褌姿が浮かびネットで六尺褌検索。その中に前記の症状の軽減が有り、愛用者コラムでいっぺん使用と思い、家族には腹巻と偽って締めてみた。先輩の経験は事実を確認して愛用している。
◇ 海水浴場で、若い人から、「ふんどし、カッコいいっすね!どこで売ってたんでかぁ?俺も締めたいっす。」予備のふんどし、プレゼントして、締めてあげました!ケツのキイな可愛い子。ケツ、玉、竿も触り放題。岩場で、ケツ交尾!汗だくでした!
◇ 小学6年生の夏、静岡の人気のない海岸で六尺褌を締めて一人で泳いでた時、綺麗なお姉さんに逆ナンされた。その人の車でホテルに連れてかれて、それまで経験したことのないような激しいセックスをさせられた。2時間くらいの休憩時間のうちに7発も搾り取られ疲労困憊したこと。
◇ 昔、親戚の叔父さんが六尺褌を締めて俵を持ち上げて力持ち大会みたいな写真が有りました。何てカッコ良い大人の姿と思いました、六尺褌を好きになった原点に思います。
◇ 自分で締めると緩いのでたるんでしまうから、夏祭りに行く時に浴衣を着て褌を締めて行きましたが、歩いているうちに褌がたるんできて、家内に締め直しをしてもらいました、暗いので周りには見えないのだ良かった。
◇ 私の住む県は呉服商が多く、年5回は浴衣も含めて着物を仕立ててもらうのですがその際に褌も購入します。その時に着物の仕立てをしに来ていた私よりずっと若いお客様と目が会い、お仲間だと直感。購入してから何気なく目で誘い店の外に。ジャズのコーヒーショップに誘い家にテイクアウト。2回戦が終わり世間話を。よくよく聞いたら呉服屋さんの息子さんだった。逃れようもなく、今でも継続してつながってます。
◇ 高校生1年の頃、剣道部の顧問もしていた38歳の先生が着替え中、六尺姿が似合っていたので先生に告白。夏休みに先生を誘惑して先生に抱かれた。この時、先生は私にとって3人目の男。先生は初めてでしたので、私の口に射精してしまい罪の意識がつきまとい、悩んでましたが、2週間後には先生から求めてきてリードして抱いてくれた。私が先生をホモの世界に導きました。先生は私のアナルに挿入の際も手際よく優しくしてくれました。もう、44年前の事です。
◇ 初夏ごろからは、風呂上がりは締めていますが、六尺褌はせんだくの干す場所が目立たないように干していますが、留守中に雨が降り、隣の家
の奥さんが入れてくれましたが、ピンク色のガーゼ褌が何?分からなかったようです。何に使うのか聞いてくるのに答えようがなく困った
、、家内が恥ずかしかったようです。(留守にする時は、褌は外に干さないようにしているようです)
◇ 25歳の夏(34年前)。海岸近くの雑草が生い茂る所で六尺で寝そべってました。うだるような暑さの中、蝉の鳴き声と草いきれの匂い。時折、通り過ぎるそよ風に紛れて、気分が淫靡に。近所の大学教授のおじさんにずっと見ていられ、越中ふんどし姿で私の体を愛撫。お互いに69と飲み合いました。次の日も会うことになり、雑草の陰に隠れてしました。それ以来、野外好きです。
◇ 生徒と海に合宿に行った時、海パンの代わりに赤の六尺褌で泳ぎましたが、男子生徒には珍しがっていましたが、女子学生にはまずかったようで、合宿の後には、女子生徒の親から抗議があり(中学生には刺激がありすぎた)ました。そんれ以来から赤フン先生になった思い出です。今は、高等学校に赴任したので、赤フンになることもありません
◇同僚の結婚式参加の余興で和太鼓打ちをする時に、白の六尺褌を締めから、下着を身につけずに二次会と飲み、次へスナックへ歩き、ホテルへ帰った時は褌が無く下着は履いていなかった(10年以上前)褌は何処へいったのか?、下着はホテル(式場の着替え室にありました。)今は、飲みすぎないようにしています。
◇ 祭りに参加しましたが、祭りのクライマックスになると褌がゆるくなってたるんでくる前が見えたりで、、お酒を飲んでいるのではずれていたようです。褌が締めてなく浴衣を着て帰ってきた(地域の祭り)
恥ずかったです。
◇ 浴衣を着る時は下着の線が出るので何も付けませんでしたが、妻が一諸に出掛ける時から、褌を探してきて締めるのはよいですが、長く歩いていると緩んで来て困ったことがあります。それ以来は締めれるように練習をしたので今では緩んでくることもありまん。(浴衣をよく着るようになり褌も締めることがおおくなりました。)
◇ 自分で締めるとゆるくなりますから、妻に手伝ってもらいます。
締めている処にお客さんに見られて恥ずかしい思いをしました。(夏は、窓も開けて開放的にしていますから)この夏は自分でも慣れて締めるのも上手く出来るようになりました。
◇ 夏休みに家族で旅行にいきました。その時の泊まった宿に(布団の中)
に忘れていたのも気がつかず(日常はトランクスかブリーフ)家路に
帰りました。その後に宿から洗搦したふんどしが届いて驚きました。恥ずかしい思い出になります。
◇ 最近では褌専門店には色、柄、生地の種類、縫製の仕方等いろんなタイプが揃っており選ぶ楽しみもあり、とても喜んでおります。妻も生地選びや手縫いから解放され、有難いと話しております。僕自身も間もなく古希を迎える歳となりましたが、ますます充実した日々を過ごしております。これも褌のお陰と勝手に解釈し喜んでいます。しかし、残念ながら多くの男性に認められていないことが悔やまれてなりません。暑い夏の夜、風呂上りに褌一丁で寝る事が出来るのは、男だから出来ることと思い、男に生まれた喜びを噛み締めています。
◇ こんなに良い下着をどうして恥ずかしいと敬遠するのか。追突事故で大袈裟と思われますが、頭、首、肩、腰の痛みと肩のこり、足の痺れ等で四年半余り苦む。夜はなかなか寝付かれず、そんな時ふと父の褌姿が浮かびネットで六尺褌検索。その中に前記の症状の軽減が有り、愛用者コラムでいっぺん使用と思い、家族には腹巻と偽って締めてみた。先輩の経験は事実を確認して愛用している。
◇ 海水浴場で、若い人から、「ふんどし、カッコいいっすね!どこで売ってたんでかぁ?俺も締めたいっす。」予備のふんどし、プレゼントして、締めてあげました!ケツのキイな可愛い子。ケツ、玉、竿も触り放題。岩場で、ケツ交尾!汗だくでした!
◇ 小学6年生の夏、静岡の人気のない海岸で六尺褌を締めて一人で泳いでた時、綺麗なお姉さんに逆ナンされた。その人の車でホテルに連れてかれて、それまで経験したことのないような激しいセックスをさせられた。2時間くらいの休憩時間のうちに7発も搾り取られ疲労困憊したこと。
◇ 昔、親戚の叔父さんが六尺褌を締めて俵を持ち上げて力持ち大会みたいな写真が有りました。何てカッコ良い大人の姿と思いました、六尺褌を好きになった原点に思います。
◇ 自分で締めると緩いのでたるんでしまうから、夏祭りに行く時に浴衣を着て褌を締めて行きましたが、歩いているうちに褌がたるんできて、家内に締め直しをしてもらいました、暗いので周りには見えないのだ良かった。
◇ 私の住む県は呉服商が多く、年5回は浴衣も含めて着物を仕立ててもらうのですがその際に褌も購入します。その時に着物の仕立てをしに来ていた私よりずっと若いお客様と目が会い、お仲間だと直感。購入してから何気なく目で誘い店の外に。ジャズのコーヒーショップに誘い家にテイクアウト。2回戦が終わり世間話を。よくよく聞いたら呉服屋さんの息子さんだった。逃れようもなく、今でも継続してつながってます。
◇ 高校生1年の頃、剣道部の顧問もしていた38歳の先生が着替え中、六尺姿が似合っていたので先生に告白。夏休みに先生を誘惑して先生に抱かれた。この時、先生は私にとって3人目の男。先生は初めてでしたので、私の口に射精してしまい罪の意識がつきまとい、悩んでましたが、2週間後には先生から求めてきてリードして抱いてくれた。私が先生をホモの世界に導きました。先生は私のアナルに挿入の際も手際よく優しくしてくれました。もう、44年前の事です。
◇ 初夏ごろからは、風呂上がりは締めていますが、六尺褌はせんだくの干す場所が目立たないように干していますが、留守中に雨が降り、隣の家
の奥さんが入れてくれましたが、ピンク色のガーゼ褌が何?分からなかったようです。何に使うのか聞いてくるのに答えようがなく困った
、、家内が恥ずかしかったようです。(留守にする時は、褌は外に干さないようにしているようです)
◇ 25歳の夏(34年前)。海岸近くの雑草が生い茂る所で六尺で寝そべってました。うだるような暑さの中、蝉の鳴き声と草いきれの匂い。時折、通り過ぎるそよ風に紛れて、気分が淫靡に。近所の大学教授のおじさんにずっと見ていられ、越中ふんどし姿で私の体を愛撫。お互いに69と飲み合いました。次の日も会うことになり、雑草の陰に隠れてしました。それ以来、野外好きです。
◇ 生徒と海に合宿に行った時、海パンの代わりに赤の六尺褌で泳ぎましたが、男子生徒には珍しがっていましたが、女子学生にはまずかったようで、合宿の後には、女子生徒の親から抗議があり(中学生には刺激がありすぎた)ました。そんれ以来から赤フン先生になった思い出です。今は、高等学校に赴任したので、赤フンになることもありません
◇同僚の結婚式参加の余興で和太鼓打ちをする時に、白の六尺褌を締めから、下着を身につけずに二次会と飲み、次へスナックへ歩き、ホテルへ帰った時は褌が無く下着は履いていなかった(10年以上前)褌は何処へいったのか?、下着はホテル(式場の着替え室にありました。)今は、飲みすぎないようにしています。
◇ 祭りに参加しましたが、祭りのクライマックスになると褌がゆるくなってたるんでくる前が見えたりで、、お酒を飲んでいるのではずれていたようです。褌が締めてなく浴衣を着て帰ってきた(地域の祭り)
恥ずかったです。
◇ 浴衣を着る時は下着の線が出るので何も付けませんでしたが、妻が一諸に出掛ける時から、褌を探してきて締めるのはよいですが、長く歩いていると緩んで来て困ったことがあります。それ以来は締めれるように練習をしたので今では緩んでくることもありまん。(浴衣をよく着るようになり褌も締めることがおおくなりました。)
◇ 自分で締めるとゆるくなりますから、妻に手伝ってもらいます。
締めている処にお客さんに見られて恥ずかしい思いをしました。(夏は、窓も開けて開放的にしていますから)この夏は自分でも慣れて締めるのも上手く出来るようになりました。
◇ 夏休みに家族で旅行にいきました。その時の泊まった宿に(布団の中)
に忘れていたのも気がつかず(日常はトランクスかブリーフ)家路に
帰りました。その後に宿から洗搦したふんどしが届いて驚きました。恥ずかしい思い出になります。
24/09/14 06:12更新 / 褌三昧
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